「おはようございます」
「おはようございます、今日も早いですね」
午前7:30
会社のビル警備員さんとの挨拶から今日の仕事が始まるのが私の日課だ。
広告宣伝部の媒体担当で媒体選定とその予算の決裁権を持ち、広告代理店十数社との交渉を任されている。
毎日の残業明けで起きるのはツラいが、早い時間帯は満員電車も避けられるし、来てさえしまえば空気も澄んでいて気持ちがいいものだ。
毎朝 挨拶を交わす警備員さんとは当然のように顔見知りになり、冗談を言い合える仲であり、何かあった時にも顔パス同様の扱いにしてくれるので心強い。
たまに会社の周りをジャージ姿にリュックで体中に重りをつけてトレーニングを兼ねた散歩をしている社長と出くわし、そのまま現状報告と方針確認のミーティングに流れ込むこともある。
「おう、見つかっちゃったか。この姿はみんなには内緒だぞ」
24時間会社のことを思う社長業というものは、体力も大事。ストイックなものだと感銘を受ける。同時に仕事にはシビアだがリラックスムードで相談ができるこの時間を私は大切に思っていた。社長の本音や会社のどこに不安を感じていらっしゃるかなどが垣間見れたからだ。
デスクにつくとPCを立ち上げ、まずは昨日の売上とメディアごとの反応をチェックし、ざっと頭に入れる。
一日の予定とアポイントを確認し各社との交渉ポイントなどを戦略立てる。準備と1社あたり1~1.5時間の商談 × 4社 で約5~6時間、社内のミーティングや作業、昼食時間などを合わせればあっという間に就業定時は過ぎてしまう。
ここに出版社や新聞社といったメディアからのアポイントや新規営業の対応などが加わり、ほぼ一日中 人に会うのが私の仕事のようなものだった。
そのためアポイントのない面談には応じられないと公言し、既存の数十社の広告代理店にはローテーションで会わざるを得なく1社あたり週に1度か2度、商談できればよい方だった。
メディアに広告を掲載するには広告原稿入稿の締切が付きまとう。
それゆえに広告代理店にとっては提案のタイミングも重要だ。
クライアントは提案を受けてから社内調整し予算を取って決裁を仰ぐというのが通常のステップだが、会社によっては2週間から1か月近くは時間を要する。これに合わせてセールスしていたのでは競合他社の情報が早かったりした時点でチャンスを逃すことも多い。
発注側としてはそれも競争原理を刺激する材料でもあるわけなのだが、ヤル気のある広告代理店にとってはたまったものではないだろう。
いい情報や提案は一刻も早く 「予算を持ち決裁権のある人間」 と話したいのは当然だから。
別の日
いつものように通勤。会社を目指すと見覚えのある男性の姿がある。
「おっはようございます」
と明るく元気な声で深々とお辞儀する。
「あっ、おはようございます。こんな早くにどうしました!? もしかしてトラブル?」
「いいえ、近くで朝食 食べてたんです。そろそろ出社されるお時間かなと思って」
「そうなの、よくボクの出社時間知ってたね」
(今のご時世ならばいささかストーカーチックではあるが)
「はい、なかなかお時間取っていただけないので部下の方にお聞きしたら 「誰よりも早く出社して遅めの時間に退社される」 ということを知りました。
それで何度か時間を変えて朝お伺いしてみたんです。最初は訝しがっていた警備員さんもハクさん(*アカウントネームでご勘弁ください)に面会と知ると
「そろそろだよ」
って教えてくれて。」
「そう、それじゃ無駄足させちゃったこともあったんだね。申し訳ない。」
「いえいえ、勝手に押しかけてるのこちらですから。それにハクさんが他社さんを含めて公言したルールを破ってるのも私です。」
「そうだよーー!! ははは (笑)」
「すみませ~ん。コーヒー買ってきたんで一緒に飲みませんか(笑)」
手には某コーヒー専門のチェーン店からテイクアウト用に購入された2つのトールサイズ。
朝の目覚ましに気が利くにもほどがあるくらい心地よい。
「本音を言えばちょっと嬉しいよ。相手のことを知り迷惑が掛からない程度にルールを破ってでも来てくれる。そういう熱血な骨太営業さんに久しぶりに会ったよ」
「そんなぁ、こちらこそ門前払いされても仕方ないのにありがとうございます」
それから小一時間、テイクアウトのコーヒーを美味しくいただきながら商談に応じる。
数日後
「いつもありがとう、これ使って」
と彼が持ち込むテイクアウト店のコーヒーチケットを彼に渡す。
あの時の驚いた彼の嬉しそうに はにかんだ笑顔を今でも忘れられない。
こうしてこの営業は朝であれば最優先で私と交渉できる権利を勝ち取った。
厳密にいえばルールを外した禁じ手かもしれない。しかしながら何かを得るために何かを捨てなければならないのは世の常だ。
ミスを犯してお詫びに来るわけでもないのに早起きをして足しげく通ってくる彼を誰が邪険にできるだろう。それが人の心情というもの。
それからというもの一声かければ阿吽の呼吸でフットワークよく期待通りに対応してくれる。
距離が縮むと情報交換も相談もしやすくなるし、クライアントとしては外部にブレーンを得るようなものだ。
彼とのモーニング商談はすっかり私の日課の一部に組み込まれるようになった。
当然のごとく彼は出世して一時は海外支社を仕切っていたと聞いた。
あの時のキミの熱意はまだ健在だろうか。
どうか絶やすことなく私たちの時代のエピソードとして若い営業諸君に伝承していって欲しい。
そして若い営業諸君!
目的に向かって突き進んで欲しい。
「今何ができるのか?今何をすべきなのか?」
相手先の担当者と 真摯に向き合うことでチャンスは必ず訪れる と信じて。
健闘をお祈りする。